痛みを忘れて泣いた夜
痛みを忘れて泣いた夜
足趾の手術で入院した時のこと
向かいのベッドのAさんは 膝を手術した八十才
世話好きで それにおしゃべり大好きで
お子さん お孫さんの話やら ご近所さんの話やら
次から次へと 同じ話を何回も
その中で一回しかしなかった話がある
六ヶ月前に亡くなったおつれあいとの話
脳梗塞で寝たきりになった夫との六年間
「床ずれを作ったことはなかった」と
Aさん 胸を張って言う
「私がバカなことを言って笑わせると『ばぁーかぁ』って言うのは分かるのよ
しゃべれないいだけど それだけは」
Aさん 嬉しそうに言う
そして ある時 Aさんは
夫のわずかに動く手に タオルを握らせて
「お父さん 私 背中が痒いんだけど それで掻いてくれる」と
言ったら 掻いてくれたんだって だから
「お父さん ありがとう 気持ちよかったよ」と
言ったんだって……
病院の夜は長い いつもは声を殺してうめくのに
その話を聞いた夜
おつれあいが受け取った「ありがとう」を
何度も何度も噛み締めて
私は声を忍ばせ 泣いていた